コインを入れたらジュースが出る、
という発想が大ヒット。
米国視察の折、社長が現地で冷水機を発見。これだ!とひらめき、帰国後に冷水機第1号を製造。それを“オリエンタル中村”(現:三越)の社長に提案すると、「2週間後の名古屋まつりまでに、10円玉を入れてジュースが出てくるようにできないか」と相談されました。そこで社員一丸となり開発し、1957年10月の名古屋まつりでジュース自動販売機がデビュー。大人気を博しました。しかし自動とはいえ、お客様は操作方法がわからず、社員が張り付いてジュースを出したとか。
1960年、現会長(坂本精志)が米国マイアミで開かれた自販機展示会の視察へ向かいます。展示会への途中、社長はシカゴの街で一人の米国人と出会いました。その人が偶然にもフレークアイスの発明者の一人で、「これからは水と紙と氷が伸びるだろう」「その中でも氷を自動的に作る機械は素晴らしいもの。アメリカでも伸びているから、日本も豊かになれば必ず売れる」とアドバイス。この出来事が、製氷機誕生のきっかけとなりました。
1958年に400台でスタートしたジュース自動販売機は、翌年には800台、1962年には3,200台の大ヒット商品になりました。そして1962年には『街のオアシス』という名前の噴水式ジュース自動販売機が大人気に!機械の上にガラスのボトルがあり、その中でオレンジジュースが噴水のように上がっている様子が評判に。日本中のデパートの屋上や街角に置かれ、子どもはもちろん大人も喉を潤しました。雑誌、新聞にも取り上げられ、映画にも登場するほどでした。